2014年11月22日
動楽亭に(11月20日) [ちゃりで落語]
江坂から、長柄橋、天神橋、松屋町、新世界まで。ジャンジャン横町の
JRガードをくぐるとパチンコ屋の前、ファミマの上にあります。裏の階段
で開場待ち。御代は当日券のみ金2000円也。桂ざこばさんが席亭の
落語専門の定席。月の内1日から20日まで昼席興業。夜の部は随時
独演会などあり。

自転車はファミマ裏の手荷物預かり所に金300円で預けます。安心。

さて、本日番組は、桂二乗さん「千早振る」、この人なかなか巧いなあ
と思ったら、最近賞(H25輝き賞)を取ったらしい。
さんしさん(現文枝)弟子で吉本所属の桂三幸さんが「牛褒め」、この
人はインテリ臭いとオモたら、工学部出身です。
名古屋から近鉄特急で来演したと言う肉食系桂団朝さんが「金釣り」
松竹芸能所属の笑福亭三喬さんが「近江八景」、ここで中入り。
松島新地が出てきます。
この人も吉本と言う林家うさぎさん、題目忘れました・・・。
トリの桂文太さんは「よもぎ餅」、福島から勝間村(現玉出)への
棺桶担ぎの言い立て。
福島羅漢前、泥亀長屋を出まして、あれから妙徳寺五百羅漢へ
出て汐見橋から堂島へ出まして、玉江橋から中之島へ出まして、
そのころ奥田様、川田様といぅお屋敷の前を真っ直ぐに、栴檀
ノ木橋から堺筋へ出まして、船場の平野町へ出まして、淡路町
から本町へ出まして、順慶町から長堀橋を渡りまして、島之内
の油町へ出まして、日本橋を渡りまして、日本橋五丁目から長
町裏へ出まして、今宮のえべっさんの東の筋を真っ直ぐに、住
吉街道を南へとりまして、萩之茶屋から天下茶屋へ出まして、
そのむかし太閤さんが団子を食べた「千成屋」といぅ団子屋の
前を真っ直ぐに、勝間街道へ出まして布袋坂を下りまして千本
へ出まして、大国坂を登りまして一本松、勝間絶紅(こつまぜっ
こぉ)釜無し村の木蓮寺まで。
ここでの汐見橋は現国道2号線と平行に流れていたと思われる
蜆川への架橋と推定します。ところが、蜆川の橋名では汐津橋
(浄正橋の下流側)しかありません。(十三のいま昔を歩く
に引用されている昭和初期の地図による)従ってどこかで間違
い思い違いがあり、言い立てでは汐見橋となって口伝されてい
るように思いますが、フィクションなのでこまかいこと言ってもしょ
うありません。
妙徳寺は昭和初期に東大阪へ移転したとのことです。現在地
で羅漢は残っているらしい。
勝間(こつま)村はこつま南京が名産であり、現在は玉出と改
称されている。
勝間村は大阪の都市化の流れの中でベッドタウンとして大きく
発展した際に宅地化して大きく変わったと推定されます。
勝間村の中心地は生根神社近辺と推定しますが、勝間絶紅釜
無し村というのがどのあたりかの推定ができませんでした。布袋
坂を下り、千本に出て大国坂を登ったとあるので、今度機会が
あったら、玉出地区のロケハンに行きたいと思っております。
なお、今東光さんの小説で出てくる「こつまなんきん」はこの勝間
南京から派生した、いわゆるトランジスターグラマーみたいな女
性を指すのでしょうか・・・。
こつま街道のルートラボ情報。
上方落語、演芸関連催し情報をまとめ、更新配信されているブログを
発見しました。これはすごい。参考になる。
JRガードをくぐるとパチンコ屋の前、ファミマの上にあります。裏の階段
で開場待ち。御代は当日券のみ金2000円也。桂ざこばさんが席亭の
落語専門の定席。月の内1日から20日まで昼席興業。夜の部は随時
独演会などあり。

自転車はファミマ裏の手荷物預かり所に金300円で預けます。安心。

さて、本日番組は、桂二乗さん「千早振る」、この人なかなか巧いなあ
と思ったら、最近賞(H25輝き賞)を取ったらしい。
さんしさん(現文枝)弟子で吉本所属の桂三幸さんが「牛褒め」、この
人はインテリ臭いとオモたら、工学部出身です。
名古屋から近鉄特急で来演したと言う肉食系桂団朝さんが「金釣り」
松竹芸能所属の笑福亭三喬さんが「近江八景」、ここで中入り。
松島新地が出てきます。
この人も吉本と言う林家うさぎさん、題目忘れました・・・。
トリの桂文太さんは「よもぎ餅」、福島から勝間村(現玉出)への
棺桶担ぎの言い立て。
福島羅漢前、泥亀長屋を出まして、あれから妙徳寺五百羅漢へ
出て汐見橋から堂島へ出まして、玉江橋から中之島へ出まして、
そのころ奥田様、川田様といぅお屋敷の前を真っ直ぐに、栴檀
ノ木橋から堺筋へ出まして、船場の平野町へ出まして、淡路町
から本町へ出まして、順慶町から長堀橋を渡りまして、島之内
の油町へ出まして、日本橋を渡りまして、日本橋五丁目から長
町裏へ出まして、今宮のえべっさんの東の筋を真っ直ぐに、住
吉街道を南へとりまして、萩之茶屋から天下茶屋へ出まして、
そのむかし太閤さんが団子を食べた「千成屋」といぅ団子屋の
前を真っ直ぐに、勝間街道へ出まして布袋坂を下りまして千本
へ出まして、大国坂を登りまして一本松、勝間絶紅(こつまぜっ
こぉ)釜無し村の木蓮寺まで。
ここでの汐見橋は現国道2号線と平行に流れていたと思われる
蜆川への架橋と推定します。ところが、蜆川の橋名では汐津橋
(浄正橋の下流側)しかありません。(十三のいま昔を歩く
に引用されている昭和初期の地図による)従ってどこかで間違
い思い違いがあり、言い立てでは汐見橋となって口伝されてい
るように思いますが、フィクションなのでこまかいこと言ってもしょ
うありません。
妙徳寺は昭和初期に東大阪へ移転したとのことです。現在地
で羅漢は残っているらしい。
勝間(こつま)村はこつま南京が名産であり、現在は玉出と改
称されている。
勝間村は大阪の都市化の流れの中でベッドタウンとして大きく
発展した際に宅地化して大きく変わったと推定されます。
勝間村の中心地は生根神社近辺と推定しますが、勝間絶紅釜
無し村というのがどのあたりかの推定ができませんでした。布袋
坂を下り、千本に出て大国坂を登ったとあるので、今度機会が
あったら、玉出地区のロケハンに行きたいと思っております。
なお、今東光さんの小説で出てくる「こつまなんきん」はこの勝間
南京から派生した、いわゆるトランジスターグラマーみたいな女
性を指すのでしょうか・・・。
こつま街道のルートラボ情報。
上方落語、演芸関連催し情報をまとめ、更新配信されているブログを
発見しました。これはすごい。参考になる。
Posted by nobcha at 12:28│Comments(0)
│落語
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