2015年07月05日
吹田産業祭で落語を聞いた
関大と阪大の落研が競いあると言う趣向の落語会が
吹田市で毎年行われています。
ワタシの出身校を応援しようと行くのですが、いつもい
まいち・・。
今年は5月10日にメイシアターの中ホールという落語
会場定番のホールで行われました。


吹田市で毎年行われています。
ワタシの出身校を応援しようと行くのですが、いつもい
まいち・・。
今年は5月10日にメイシアターの中ホールという落語
会場定番のホールで行われました。


2015年01月25日
阿弥陀池
寒くて引きこもりがちなチャリ爺ではありますが、ちょっと大阪のお寺
さんに出かけました。目的地の近所に落語阿弥陀池でモデルとなっ
た和光寺がありましたので境内を見学してきました。
ビルの谷間に立派な本堂が建ち、境内には阿弥陀池があります。

―――――――――引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
尼はん、本を読んでなはるというと、盗人がピストルを向けて、『金を出せ』と。尼はん、ビックリ
すると思いのほか、黙って、胸元を開けて、乳を出した。「盗人、喜んで、吸いに行ったか?」て、
んな、アホな。そやけど、何で、そんなことしはんねやろ?『さあ、過たず、ここを撃て。私の夫、
山本大尉は、過ぎし日露の戦いに、この乳の下を一発の弾丸に撃ち抜かれ、名誉の戦死を遂
げられた。同じ死ぬのであれば、夫と同じところを撃たれて、死にたい。さあ、過たず、ここを撃
て。』と。ああ、そういう理由でしたんか。ほんで、尼はんになって、仏に仕える身と。しかし、しか
し、この盗人、ピストルを落として、三尺下がって、土下座をした。これも、分からん。言うのを聞
いてみると、この盗人、先の戦争で、この方の夫、山本大尉に、一方ならん、お世話を受けた。
命の恩人やと。そんな方の奥さんのところに、盗みに入るとは、何とおろかな人間であろうと、こ
の盗人、ピストルを自分の喉元へ付けて、撃とうとするさかいに、それを尼はんが制して、『おま
はんも、根っからの悪人ではなかろう。誰ぞにそそのかされて、行けいと言われたんやろ。誰が
行けと言うたんや?』『へえ、阿弥陀が行けと言いました。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ワタシは米朝師匠が掛けられたのをライブ(サンケイホールだったか?)
で聞きましたが、枝雀さんのも人気あるようです。
帰りはあみだ池筋で堂島中津十三で帰りました。先日のケーキの
端切れが好評でしたが、やっぱり元も食べたいという要望があり、
堂島スウーツでふわっと苺ロールを買って帰りました。

さんに出かけました。目的地の近所に落語阿弥陀池でモデルとなっ
た和光寺がありましたので境内を見学してきました。
ビルの谷間に立派な本堂が建ち、境内には阿弥陀池があります。

―――――――――引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
尼はん、本を読んでなはるというと、盗人がピストルを向けて、『金を出せ』と。尼はん、ビックリ
すると思いのほか、黙って、胸元を開けて、乳を出した。「盗人、喜んで、吸いに行ったか?」て、
んな、アホな。そやけど、何で、そんなことしはんねやろ?『さあ、過たず、ここを撃て。私の夫、
山本大尉は、過ぎし日露の戦いに、この乳の下を一発の弾丸に撃ち抜かれ、名誉の戦死を遂
げられた。同じ死ぬのであれば、夫と同じところを撃たれて、死にたい。さあ、過たず、ここを撃
て。』と。ああ、そういう理由でしたんか。ほんで、尼はんになって、仏に仕える身と。しかし、しか
し、この盗人、ピストルを落として、三尺下がって、土下座をした。これも、分からん。言うのを聞
いてみると、この盗人、先の戦争で、この方の夫、山本大尉に、一方ならん、お世話を受けた。
命の恩人やと。そんな方の奥さんのところに、盗みに入るとは、何とおろかな人間であろうと、こ
の盗人、ピストルを自分の喉元へ付けて、撃とうとするさかいに、それを尼はんが制して、『おま
はんも、根っからの悪人ではなかろう。誰ぞにそそのかされて、行けいと言われたんやろ。誰が
行けと言うたんや?』『へえ、阿弥陀が行けと言いました。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ワタシは米朝師匠が掛けられたのをライブ(サンケイホールだったか?)
で聞きましたが、枝雀さんのも人気あるようです。
帰りはあみだ池筋で堂島中津十三で帰りました。先日のケーキの
端切れが好評でしたが、やっぱり元も食べたいという要望があり、
堂島スウーツでふわっと苺ロールを買って帰りました。

2015年01月14日
福島羅漢前ロケハン+ケーキの端切れ
寒い毎日です。みなさんいかがお過ごしですか。チャリ爺にとっ
ては、サイクリング日和ではなくてこまっております。とはいって
も大阪市内往復ぐらいはやってます。
今日の話題は先日桂文太さんの落語「よもぎ餅」に出てきた福
島羅漢がどこなのかのお話です。

桂文太さんが語った「よもぎ餅」、の中で福島から勝間村(現玉出)への棺桶担ぎの言い立て。
福島羅漢前、泥亀長屋を出まして、あれから妙徳寺五百羅漢へ
出て汐見橋から堂島へ出まして、玉江橋から中之島へ出まして、
そのころ奥田様、川田様といぅお屋敷の前を真っ直ぐに、栴檀
ノ木橋から堺筋へ出まして、船場の平野町へ出まして、淡路町
から本町へ出まして、順慶町から長堀橋を渡りまして、島之内
の油町へ出まして、日本橋を渡りまして、日本橋五丁目から長
町裏へ出まして、今宮のえべっさんの東の筋を真っ直ぐに、住
吉街道を南へとりまして、萩之茶屋から天下茶屋へ出まして、
そのむかし太閤さんが団子を食べた「千成屋」といぅ団子屋の
前を真っ直ぐに、勝間街道へ出まして布袋坂を下りまして千本
へ出まして、大国坂を登りまして一本松、勝間絶紅(こつまぜっ
こぉ)釜無し村の木蓮寺まで。
近隣案内地図によると五百羅漢はあみだ池筋の福島西交差
点付近にあったようです。現地の目印わからず。(家に帰って
から調べたら、五百羅漢はその裏にある福島公園が跡地の
ようです)
また汐見橋は現国道2号線と平行に流れていたと思われる
蜆川への架橋と推定します。ところが、蜆川の橋名では汐津橋
(浄正橋の下流側)しかありません。(十三のいま昔を歩く
に引用されている昭和初期の地図による)従ってどこかで間違
い思い違いがあり、言い立てでは汐見橋となって口伝されてい
るように思いますが、フィクションなのでこまかいこと言ってもしょ
うありません。
妙徳寺は昭和初期に東大阪へ移転したとのことです。現在地
で羅漢は残っているらしい。

五百羅漢の跡は不明でしたが、その裏に堂島スイーツの工場
を発見しました。そしてそこでなんと、ロールケーキの端切れと
言うものをゲットしました。(後で古地図を調べたら、五百羅漢は
現在の福島公園のところだったそうです。そうなるとこの堂島ス
イーツの工場は丁度その前にあたるわけで、よもぎ餅での棺桶
担ぎはこのあたりから出発したことになるようです。)

一本買うと二千円弱のチョコロールケーキのはしっこがぐちゃっ
となって袋に1本分ぐらい入って300g300円。

ては、サイクリング日和ではなくてこまっております。とはいって
も大阪市内往復ぐらいはやってます。
今日の話題は先日桂文太さんの落語「よもぎ餅」に出てきた福
島羅漢がどこなのかのお話です。

桂文太さんが語った「よもぎ餅」、の中で福島から勝間村(現玉出)への棺桶担ぎの言い立て。
福島羅漢前、泥亀長屋を出まして、あれから妙徳寺五百羅漢へ
出て汐見橋から堂島へ出まして、玉江橋から中之島へ出まして、
そのころ奥田様、川田様といぅお屋敷の前を真っ直ぐに、栴檀
ノ木橋から堺筋へ出まして、船場の平野町へ出まして、淡路町
から本町へ出まして、順慶町から長堀橋を渡りまして、島之内
の油町へ出まして、日本橋を渡りまして、日本橋五丁目から長
町裏へ出まして、今宮のえべっさんの東の筋を真っ直ぐに、住
吉街道を南へとりまして、萩之茶屋から天下茶屋へ出まして、
そのむかし太閤さんが団子を食べた「千成屋」といぅ団子屋の
前を真っ直ぐに、勝間街道へ出まして布袋坂を下りまして千本
へ出まして、大国坂を登りまして一本松、勝間絶紅(こつまぜっ
こぉ)釜無し村の木蓮寺まで。
近隣案内地図によると五百羅漢はあみだ池筋の福島西交差
点付近にあったようです。現地の目印わからず。(家に帰って
から調べたら、五百羅漢はその裏にある福島公園が跡地の
ようです)
また汐見橋は現国道2号線と平行に流れていたと思われる
蜆川への架橋と推定します。ところが、蜆川の橋名では汐津橋
(浄正橋の下流側)しかありません。(十三のいま昔を歩く
に引用されている昭和初期の地図による)従ってどこかで間違
い思い違いがあり、言い立てでは汐見橋となって口伝されてい
るように思いますが、フィクションなのでこまかいこと言ってもしょ
うありません。
妙徳寺は昭和初期に東大阪へ移転したとのことです。現在地
で羅漢は残っているらしい。
五百羅漢の跡は不明でしたが、その裏に堂島スイーツの工場
を発見しました。そしてそこでなんと、ロールケーキの端切れと
言うものをゲットしました。(後で古地図を調べたら、五百羅漢は
現在の福島公園のところだったそうです。そうなるとこの堂島ス
イーツの工場は丁度その前にあたるわけで、よもぎ餅での棺桶
担ぎはこのあたりから出発したことになるようです。)

一本買うと二千円弱のチョコロールケーキのはしっこがぐちゃっ
となって袋に1本分ぐらい入って300g300円。

2014年11月22日
動楽亭に(11月20日) [ちゃりで落語]
江坂から、長柄橋、天神橋、松屋町、新世界まで。ジャンジャン横町の
JRガードをくぐるとパチンコ屋の前、ファミマの上にあります。裏の階段
で開場待ち。御代は当日券のみ金2000円也。桂ざこばさんが席亭の
落語専門の定席。月の内1日から20日まで昼席興業。夜の部は随時
独演会などあり。

自転車はファミマ裏の手荷物預かり所に金300円で預けます。安心。

さて、本日番組は、桂二乗さん「千早振る」、この人なかなか巧いなあ
と思ったら、最近賞(H25輝き賞)を取ったらしい。
さんしさん(現文枝)弟子で吉本所属の桂三幸さんが「牛褒め」、この
人はインテリ臭いとオモたら、工学部出身です。
名古屋から近鉄特急で来演したと言う肉食系桂団朝さんが「金釣り」
松竹芸能所属の笑福亭三喬さんが「近江八景」、ここで中入り。
松島新地が出てきます。
この人も吉本と言う林家うさぎさん、題目忘れました・・・。
トリの桂文太さんは「よもぎ餅」、福島から勝間村(現玉出)への
棺桶担ぎの言い立て。
福島羅漢前、泥亀長屋を出まして、あれから妙徳寺五百羅漢へ
出て汐見橋から堂島へ出まして、玉江橋から中之島へ出まして、
そのころ奥田様、川田様といぅお屋敷の前を真っ直ぐに、栴檀
ノ木橋から堺筋へ出まして、船場の平野町へ出まして、淡路町
から本町へ出まして、順慶町から長堀橋を渡りまして、島之内
の油町へ出まして、日本橋を渡りまして、日本橋五丁目から長
町裏へ出まして、今宮のえべっさんの東の筋を真っ直ぐに、住
吉街道を南へとりまして、萩之茶屋から天下茶屋へ出まして、
そのむかし太閤さんが団子を食べた「千成屋」といぅ団子屋の
前を真っ直ぐに、勝間街道へ出まして布袋坂を下りまして千本
へ出まして、大国坂を登りまして一本松、勝間絶紅(こつまぜっ
こぉ)釜無し村の木蓮寺まで。
ここでの汐見橋は現国道2号線と平行に流れていたと思われる
蜆川への架橋と推定します。ところが、蜆川の橋名では汐津橋
(浄正橋の下流側)しかありません。(十三のいま昔を歩く
に引用されている昭和初期の地図による)従ってどこかで間違
い思い違いがあり、言い立てでは汐見橋となって口伝されてい
るように思いますが、フィクションなのでこまかいこと言ってもしょ
うありません。
妙徳寺は昭和初期に東大阪へ移転したとのことです。現在地
で羅漢は残っているらしい。
勝間(こつま)村はこつま南京が名産であり、現在は玉出と改
称されている。
勝間村は大阪の都市化の流れの中でベッドタウンとして大きく
発展した際に宅地化して大きく変わったと推定されます。
勝間村の中心地は生根神社近辺と推定しますが、勝間絶紅釜
無し村というのがどのあたりかの推定ができませんでした。布袋
坂を下り、千本に出て大国坂を登ったとあるので、今度機会が
あったら、玉出地区のロケハンに行きたいと思っております。
なお、今東光さんの小説で出てくる「こつまなんきん」はこの勝間
南京から派生した、いわゆるトランジスターグラマーみたいな女
性を指すのでしょうか・・・。
こつま街道のルートラボ情報。
上方落語、演芸関連催し情報をまとめ、更新配信されているブログを
発見しました。これはすごい。参考になる。
JRガードをくぐるとパチンコ屋の前、ファミマの上にあります。裏の階段
で開場待ち。御代は当日券のみ金2000円也。桂ざこばさんが席亭の
落語専門の定席。月の内1日から20日まで昼席興業。夜の部は随時
独演会などあり。

自転車はファミマ裏の手荷物預かり所に金300円で預けます。安心。

さて、本日番組は、桂二乗さん「千早振る」、この人なかなか巧いなあ
と思ったら、最近賞(H25輝き賞)を取ったらしい。
さんしさん(現文枝)弟子で吉本所属の桂三幸さんが「牛褒め」、この
人はインテリ臭いとオモたら、工学部出身です。
名古屋から近鉄特急で来演したと言う肉食系桂団朝さんが「金釣り」
松竹芸能所属の笑福亭三喬さんが「近江八景」、ここで中入り。
松島新地が出てきます。
この人も吉本と言う林家うさぎさん、題目忘れました・・・。
トリの桂文太さんは「よもぎ餅」、福島から勝間村(現玉出)への
棺桶担ぎの言い立て。
福島羅漢前、泥亀長屋を出まして、あれから妙徳寺五百羅漢へ
出て汐見橋から堂島へ出まして、玉江橋から中之島へ出まして、
そのころ奥田様、川田様といぅお屋敷の前を真っ直ぐに、栴檀
ノ木橋から堺筋へ出まして、船場の平野町へ出まして、淡路町
から本町へ出まして、順慶町から長堀橋を渡りまして、島之内
の油町へ出まして、日本橋を渡りまして、日本橋五丁目から長
町裏へ出まして、今宮のえべっさんの東の筋を真っ直ぐに、住
吉街道を南へとりまして、萩之茶屋から天下茶屋へ出まして、
そのむかし太閤さんが団子を食べた「千成屋」といぅ団子屋の
前を真っ直ぐに、勝間街道へ出まして布袋坂を下りまして千本
へ出まして、大国坂を登りまして一本松、勝間絶紅(こつまぜっ
こぉ)釜無し村の木蓮寺まで。
ここでの汐見橋は現国道2号線と平行に流れていたと思われる
蜆川への架橋と推定します。ところが、蜆川の橋名では汐津橋
(浄正橋の下流側)しかありません。(十三のいま昔を歩く
に引用されている昭和初期の地図による)従ってどこかで間違
い思い違いがあり、言い立てでは汐見橋となって口伝されてい
るように思いますが、フィクションなのでこまかいこと言ってもしょ
うありません。
妙徳寺は昭和初期に東大阪へ移転したとのことです。現在地
で羅漢は残っているらしい。
勝間(こつま)村はこつま南京が名産であり、現在は玉出と改
称されている。
勝間村は大阪の都市化の流れの中でベッドタウンとして大きく
発展した際に宅地化して大きく変わったと推定されます。
勝間村の中心地は生根神社近辺と推定しますが、勝間絶紅釜
無し村というのがどのあたりかの推定ができませんでした。布袋
坂を下り、千本に出て大国坂を登ったとあるので、今度機会が
あったら、玉出地区のロケハンに行きたいと思っております。
なお、今東光さんの小説で出てくる「こつまなんきん」はこの勝間
南京から派生した、いわゆるトランジスターグラマーみたいな女
性を指すのでしょうか・・・。
こつま街道のルートラボ情報。
上方落語、演芸関連催し情報をまとめ、更新配信されているブログを
発見しました。これはすごい。参考になる。
2014年10月20日
久しぶりに落語 落研
「JR吹田駅~神埼川にかけて【すいたオータムフェスタ】が10月18日
(土)19日(日)開催!」の落研寄席に行ってきました。
トリの林家染太さんはほうじ茶という色物芸がいくつも(津軽三味線、
切り紙、南京玉すだれ)でてくるお話でした。
写真は前座を務めた落研の銀杏亭駒蔦さん。話は短命でしたがな
かなか学生さんにしては上手でした。

(土)19日(日)開催!」の落研寄席に行ってきました。
トリの林家染太さんはほうじ茶という色物芸がいくつも(津軽三味線、
切り紙、南京玉すだれ)でてくるお話でした。
写真は前座を務めた落研の銀杏亭駒蔦さん。話は短命でしたがな
かなか学生さんにしては上手でした。

2014年06月12日
動楽亭にいってみました [ちゃりで落語]
さて、上方落語の定席と言うと天満天神さんの裏参詣口前の繁昌亭
が有名ですが、もう一軒あります。ジャンジャン横町の新今宮駅入口
前ファミマの上にある動楽亭です。
動楽亭は席亭が桂ざこばさんで、毎月1日から20日まで午後2時開
演で御代は当日券のみ2000円、6人の高座が聞けます。

(以前の画像を引用)
着いたんは1時ぐらいですが、えらい混んでます。開場は1時半。行
列は横断歩道信号機前まで伸びていて、パチンコ屋の前に座ってる
地元おっちゃん達は今日はえらい混んでるで~・・と珍しそうに言うて
ました。
中に入ると満員で、更に詰め込むので通路に座布団引いて、後ろ席
に椅子も追加しますとのこと。前回来た時は5~6列ぐらいまでしか
詰まらなかったので今回は確かに大入りでした。
桂弥太郎さんは頼んない男がおじさんに言われて阪町の夜店に骨董
を売りに行く「道具屋」。
桂ひろばさんは明るく酔っぱらいを地で演じる「替わり目」、
下げは嬶がかんと煮き買いに行くところまで
桂南天さんは夏になればおなじみ柳陰が出てくる「青菜」、
桂米輔さんは粋な囃子で盛り上がる「釣ろよ、釣ろよ、信太の森の、狐
どんを釣ろよ」と言う狐釣という茶屋遊びの出てくる「親子茶屋」、
中入り後本日人気の桂南光さんは次に出る若旦那をからかいながら、
かるーく「義眼」、
そして桂米團治さんの三十石が〆でした。
なるほど、終わってみると、米輔さんのネタではおはやしさんが頑張っ
てるなあと思ったのは、下敷きで、南光さんも軽い話でトリの若旦那の
大ネタにつなぐというのが本日のお約束だったようです。三十石では船
頭歌の下り船、上り船の掛け合いなどもあり、桂一門でないとなかなか
できないネタを聞かせてもらい満足して帰りました。
6月10日、自転車走行距離30.5km、行き1時間ちょっと、帰り1時
間半。

が有名ですが、もう一軒あります。ジャンジャン横町の新今宮駅入口
前ファミマの上にある動楽亭です。
動楽亭は席亭が桂ざこばさんで、毎月1日から20日まで午後2時開
演で御代は当日券のみ2000円、6人の高座が聞けます。
(以前の画像を引用)
着いたんは1時ぐらいですが、えらい混んでます。開場は1時半。行
列は横断歩道信号機前まで伸びていて、パチンコ屋の前に座ってる
地元おっちゃん達は今日はえらい混んでるで~・・と珍しそうに言うて
ました。
中に入ると満員で、更に詰め込むので通路に座布団引いて、後ろ席
に椅子も追加しますとのこと。前回来た時は5~6列ぐらいまでしか
詰まらなかったので今回は確かに大入りでした。
桂弥太郎さんは頼んない男がおじさんに言われて阪町の夜店に骨董
を売りに行く「道具屋」。
桂ひろばさんは明るく酔っぱらいを地で演じる「替わり目」、
下げは嬶がかんと煮き買いに行くところまで
桂南天さんは夏になればおなじみ柳陰が出てくる「青菜」、
桂米輔さんは粋な囃子で盛り上がる「釣ろよ、釣ろよ、信太の森の、狐
どんを釣ろよ」と言う狐釣という茶屋遊びの出てくる「親子茶屋」、
中入り後本日人気の桂南光さんは次に出る若旦那をからかいながら、
かるーく「義眼」、
そして桂米團治さんの三十石が〆でした。
なるほど、終わってみると、米輔さんのネタではおはやしさんが頑張っ
てるなあと思ったのは、下敷きで、南光さんも軽い話でトリの若旦那の
大ネタにつなぐというのが本日のお約束だったようです。三十石では船
頭歌の下り船、上り船の掛け合いなどもあり、桂一門でないとなかなか
できないネタを聞かせてもらい満足して帰りました。
6月10日、自転車走行距離30.5km、行き1時間ちょっと、帰り1時
間半。